2章2節:上司との対話崩壊と感情の限界点

上司との対話が噛み合わず、言葉が届かない職場

真理さんと話す際、私は次第に冷静さを失っていきました。無意識のうちに対決姿勢で臨むようになっていったのです。自身の中で徐々に大きくなる無力感に屈したくなかったからです。

彼女はメールやチャットよりも対面で話すことをいつも望みました。それにも関わらず、私の質問や提案に対して正面から答えることなく、避け続けているように感じられました。つまり、対話はあくまでも形式的であって、肝心な論点に踏み込むことはほとんどなかったのです。私はまるで壁に向かって話しているような感覚に陥りました。

また、ミーティング中、彼女は私の感情的な発言をメモしたり、確認するかのように小さな声で繰り返すようになったのです。話を終えるたび、私は衝動を抑えきれなかった自分を責めました。

私は答えのない問いを頭の中で何度も繰り返しました。「あれほど自分事として仕事に取り組んでいたのに、どうしてこうなってしまったのだろう」

自身の身に起きていることが信じられず、何か大きな存在に振り回されているような感覚でした。その結果、机に向かっても頭が回らず、手が止まってしまうようになったのです。

担当業務の外注 ― 上司の真意を理解した時

ある日、外部企業との会議に同席するよう真理さんに求められました。その席で、これまで社内で行ってきたマーケティング施策の一部を外注すると告げられたのです。

会議の後、私は彼女にこう伝えました。

「私たちのような化学企業は専門性が高く、幅広い領域を扱っています。外注する業務について、もう少し話し合う必要があると思います」

あの時の彼女の返事が忘れられません。

「菜穂樹さんはもうベテランですよね。そろそろこういう仕事は卒業しないとダメですよ」

私は言葉に詰まりました。年齢を揶揄され、担当業務を軽んじられたと感じたからです。私は、外注のより本質的な狙いや、今後のビジョンについて話し合いたかったのです。

企業文化の崩壊と萎縮する従業員

新たな上層部は、退職した人について、その理由を従業員の前で説明するようになったのです。私はそのモラルを欠く発言に耳を疑いました。

「◯◯さんは××のスキルが不足していたから辞めてもらいました」

「△△さんは信頼関係を揺るがす発言をしたから辞めてもらいました」

営業部門にAさんという人がいました。日本法人の業績拡大に貢献した功労者の一人です。

彼はある取引先との契約更新について独自の交渉方針を持っていました。しかし、新たな上層部の指示に従った結果、取引先の信頼を損ない、契約更新に至りませんでした。

彼は始末書を書くよう上層部に言われた上、全体会議の場で謝罪も要求されたのです。私はいたたまれない気持ちになりましたが、その場では何も言えませんでした。彼に支えられていたかつての上司たちも、沈黙を貫いたままでした。その後、Aさんは自ら退職しました。

同じく営業部門のBさんは、ある日の夜遅く、私の携帯に電話をくれました。言葉にならない悔しさと悲しみを言葉の端々に滲ませながら、彼女はこう話してくれました。

「今週で辞めることになりました。営業成績が悪いことが理由です。上司の威圧的な態度で心の調子を崩し、休んだ期間がありました。数字が未達なのはそのためです。しかし聞き入れてもらえませんでした。再就職に不利になるのが怖くて、誰にも相談できませんでした」

私は良識に反することを黙認したくなかったため、欧州本社の人事部に相談しました。しかし、当時の私には状況を変えるほどの実力も影響力もなかったのです。

日本事業が独立している以上、本社のメンバーが関与できる余地は限られていました。また、文化も異なる遠い日本法人で起きていることは、本社からは見えにくいようでした。

企業文化は完全に変質してしまいました。上層部を前にすると、緊張して声を上げられない雰囲気が職場を覆っていたのです。

憤りと絶望の頂点 ― 画面越しに声を張り上げ、決別

私は心理的に追い込まれながらも、一日ずつ乗り切ることを自身に言い聞かせていました。この心構えは、先が見えない状況の中で自然と身につけた対処方法でした。

ところが、休職を決断する日は突然訪れたのです。

私が中心になって取り組んでいた大きな案件がありました。しかし、私だけが知らぬ間に中止にされていたのです。培った知識とスキルを総動員して取り組んでいた仕事でした。

それゆえに、ショックで目の前が真っ暗になりました。同時に、顧客やパートナー企業など関係者に与える迷惑の大きさを考えると、恐怖で体が震えました。

「パーンッ」という大きな音をたてて、ついに私の中で何かが破裂したのです。

その日、私は在宅勤務をしていました。すでに勤務時間外であることを承知の上で、すぐにビデオ会議で話したいと真理さんに伝えました。

一階にある自室で、パソコンの画面越しに文字通り声を張り上げ、積もり積もった感情を彼女にぶつけました。単にこの案件を中止にされたことだけでなく、それまでの一連の不可解な言動や意思決定について問いただしたのです。

彼女は私の質問に直接は答えませんでした。しかし、初めて感情を露わにして、机を叩きながら、おおむね次のようなことを言いました。

「私に意見して何か意味があるんですか?私はあなたの上司ですよ」

「そのやる気はどこからくるのですか?」

「どうして他に移らないのか不思議です。どうせ来年降格しますよね?」

「今回のように勤務時間外の会議依頼はやめてください」

私は画面に映る彼女の目をまっすぐ見つめたまま、しばらく動けませんでした。言葉にならない悔しさで、自分が恐ろしい表情をしていることがわかります。歯を食いしばって、涙が溢れそうになるのを必死に堪えました。

この時、どれほど努力や情熱を注いでも、組織という構造の前では無力であることを痛感しました。なんとか声を絞り出すように「もう結構です」とだけ言い、ビデオ会議システムの退出ボタンを押しました。

結局、これが彼女との最後の会話になりました。