後から腑に落ちた異動の意味 ― 利用された感覚と再解釈
誰しも、独立した「点」に見えていたものが、それぞれ突然繋がって「線」に見えた瞬間を味わったことがあるかもしれません。
休養生活に入って静かに人生を振り返っていた時のことです。
心の中でわだかまりとして何層にも積み重なっていた出来事を、一つひとつ丁寧に考え抜き、気持ちに整理をつけていました。その結果、突然視界が開けて、光が刺すような感覚を何度か経験しました。
あの失業の件もそのひとつでした。
今さら確かめようがありませんが、あの新規事業は、そもそも出向の時点からすでに「体のいいリストラ」だったのではないかと思うようになったのです。その瞬間、バラバラに見えていた出来事が、一つの目的でつながったように感じました。
長い間抱えてきた罪悪感が、まるで誰かの掌の上で踊らされていたような悔しさに変わった瞬間でした。私は若さとやる気を利用されて、夢を見させられたまま、都合のよい現場要員として道連れにされただけだったのかもしれません。
どうしてもっと早く気づかなかったのだろう。こんな単純なことに気づくのにどうして十数年も要したのだろう。あの頃の世間知らずの自分を泣きながら嘲笑いたくなります。
出向する前、もともと在籍した会社で私の異動に強く反対するKさんという人がいました。「星野さんは我が社の改革に必要な人材です」などと言って、社内で熱く訴えてくれていたのです。
ある日、Kさんが転籍先の事務所にやってきて、上述のJさんと話をしていたことがあります。以下のようなやりとりが耳に入ったことを覚えています。
Kさん「私もJさんと同じ道を辿ることになりましたよ」
Jさん「失礼なこと言うのやめてくださいよ」
当時の私にはそのやりとりの意味がわかりませんでしたが、今なら合点がいきます。
一緒に転籍した他の5名は、最初からこの異動の行き着く先を、ある程度見通していたのかもしれません。そうでなければ、転籍先があれだけ人件費が高い人たちを5人も受け入れるはずがないと思います。
そうは言っても、全ては私の自己責任です。出向と転籍に応じたのは私自身だからです。何より、それをチャンスと捉え、自ら前向きに挑んでいたことも事実なのです。私に実力があれば、新規事業を軌道に乗せ、そのまま続けられたかもしれません。
一方で、様々な意味で得難い経験を積んだことも確かです。自ら手を動かし、汗水を垂らして過ごした日々は、私の中で確かな血肉になりました。その延長線上で、再就職した会社でよい仕事に巡り合うことができ、4章1節でも少し触れた明英さんに社会人として大きな影響を受けました。
心に火種を残したまま ― 忘れられない感情
失業後に就職活動をしていた頃、一緒にリストラされたメンバーの一人と、都心のビジネス街でばったり出会したことがあります。彼も再就職先はまだ決まっていなかったのです。
しかし、彼の態度はとてもつれないものでした。まるで私には用はないというかのような、冷たい態度だったのです。近況報告をしようとする余地を私に与えないかの如く、本当に二言か三言、言葉を交わしただけで別れたのです。「そんなものかな」という寂しさや悔しさが入り混じった思いを抱えながら、私は彼の後ろ姿をしばらく目で追いました。
人員整理を前提とした異動であったと考えるようになった今、もし当時のメンバーに街でばったり遭遇したら、こう言ってしまいそうな私がいます。
「私は利用されたのですか?あの時、私だけ知らされていなかったのですか?私が結婚したばかりであることを知っていましたよね?」
逆恨みであることはわかっています。事業の撤退と整理解雇はメンバーのせいではありません。しかし、この言葉を心の中に常に用意しておかない限り、私の中で炎が鎮まらないのです。
ちなみに、新規事業の立ち上げの仕事を通じて、メンバーの誰からも、一度たりとも、感謝と受け取れる言葉を言われた覚えはありません。
足を踏んだ方は忘れているかもしれません。しかし、踏まれた方は忘れません。どれだけ時間が経っても、やはり、どうしても許せないことはあると思います。
言うまでもなく、これは私自身の行いにも当てはまりますので、人生の戒めにしていきたいと思います。憤りを抱えながらも、私らしく今この瞬間にできることに全力を尽くしていくしかないと考えています。
次章のテーマ ― 実家の家族について
次の10章から生まれ育った実家の家族について触れていきます。
