8章3節:異文化で揺れた自信と内なる国際化の体験

旧ソ連の文字が読めない街で ― 石けんすら買えない体験

まだ外国での経験が乏しかった頃、出張で旧ソ連の国を訪れたことがあります。泊まったホテルには石けんが用意されていなかったので、近くの商店へ買いに出かけました。

しかし、商品に書かれた文字はすべて現地の言葉であったため、どれがシャンプーでどれがボディーソープなのか判別できなかったのです。世界的ブランドの商品でさえ現地語で書かれていました。

商品の裏面などに何かしらヒントが書かれているだろうと、私は眉間にしわを寄せながら、呪文のような文字を穴があくほど見つめました。また、店員の視線を警戒しながら、蓋を開けて匂いも嗅いでみました。しかし結局、何もわからなかったのです。

滞在中、世界的なホテルチェーンのレストランで夕食を取らざるを得なくなりました。これには理由がありました。

滞在初日、素朴な個人経営のレストランで食事をした際、私はげんなりしてしまったのです。なぜなら、突然、店内で音楽の演奏が始まったり、テーブルに花を売りにこられたりしたからです。未知の出来事に対して、心も身体も対応できませんでした。

二日目の夜、世界中どこにでもあるファストフード店で食事をしましたが、今度は現地の若者の好奇の目にさらされ、居心地の悪さを感じました。私はどうにもならない異国感に完全に飲み込まれてしまいました。

日本では見たことがないほどの広い道路、そこを走る見慣れないメーカーの車、重厚だが陰鬱な建物と、晴天の下でもどこか荒涼とした街の空気に、私は気圧されました。その結果、誰もが知るホテルチェーンのレストランに逃げ込んだのです。

そのレストランで、新たなことを一つ学びました。

私のことが珍しく見えたのか、隣のテーブルの二人組に話しかけられたのです。二人は欧州のある大手化学メーカーの社員でした。

翌日、同じお店で、今度は一人で本を読みながら食事をしている女性と隣になりました。なんと彼女も前日の二人と同じ会社の社員だったのです。同業者ということもあって、少しだけおしゃべりをしました。

彼女曰く、他の客も同じような人々だそうです。つまり、駐在しているか、または出張で訪れている国際的企業に勤める人々だそうです。

当時、限られた経験しかなかった私は、居場所のない感じを、自分が島国の日本から来たからだと思い込んでいました。しかし、必ずしもそうではないことを知りました。

同時に、現地の人が誰一人いないところで食事をする自身に違和感も覚えました。身の丈に合わない気がしたのです。まして、そこで割り切って本を読むほどの達観も胆力も私にはありませんでした。

帰国後、滞在した日数の割に、出張の成果が不十分ではないかと会社から苦言を呈されました。それもあって、私は自身の異文化への適応能力に関してすっかり自信を失ってしまったのです。

中東で自信を取り戻す ― 見聞を広げる大切さ

メディアで得た情報や印象を鵜呑みすることなく、自分で見聞きすることの大切さを実感したことがあります。

出張で中東のある国を訪れたことがあります。上述した旧ソ連の国での経験があったので、またあの疎外感を味わうかもしれないと覚悟していました。

しかし、現地の空港で飛行機を降りてイミグレーションに向かって歩いている間、私はその国が自分に合うと直感したのです。

空港の佇まいや匂いから、想像以上に近代的で落ち着いた印象を受けました。通路の広告やすれ違うスタッフの様子から、東洋と西洋の雰囲気が混ざり合っているのを感じました。

石造りの街はエキゾチックですが秩序があり、明るい日差しからは開放的な印象を受けました。ホテルの部屋は見慣れた日本のビジネスホテルのようでした。

当時、中東と言えば戦争のイメージしかなく、私にとっては遠く、未知の世界でした。ところが、実際に訪れてみると、驚くほど落ち着いて過ごすことができたのです。

この出張は私にとって大きな転換点になりました。旧ソ連の国で失った自信を、この国で少しだけ取り戻せた気がしました。この経験があったからこそ、後の出会いや経験にも心を開くことができたのだと思います。

台湾出身の同僚が教えてくれた ― 囚われない生き方、仕事観、多文化共生

以前、アナ(仮名)という台湾出身の同僚と机を並べて仕事をしたことがあります。彼女はイギリスや日本への留学を経て、当時は東京で勤務していました。

語学に堪能で、たくましくて聡明で、そして人懐っこい。そんな彼女は、仕事でも人生でも自由を感じさせる存在でした。

彼女を見ていると、文化の違いや仕事のストレスなどを難なく乗り越えているように見えました。言うまでもなく、それは彼女の努力と人格の賜物ですが、それだけでは説明できない要素があるように感じられたのです。

人間関係におけるしがらみや忖度はありませんでした。それでいて情緒面への理解も持ち合わせており、ビジネスの合理性と両立させていました。

私が知る範囲内では、彼女のような囚われのない、カラッとした自由な気質は、多国籍な環境で生きる人たちに共通する特徴に見えました。

アナのような人たちが、日本社会でもっと多く活躍するようになるといいなと私は思います。私も同僚も彼女たちから多くのことを学んだからです。

きっと、アナが担当した顧客企業の人たちも、「こんな人材が職場にいたら」と思ったのではないでしょうか。多様な価値観に対する理解をもった人たちと仕事をすることの意義を、アナが体現していたからです。

さらに言えば、アナの子供が日本の学校で学び始めたら、そのクラスメイトたちは、日本にいながらにして異なる文化を経験し、多文化共生という感覚を自然と身につけていくのではないでしょうか。

アナは今、別の会社でアジア地域の営業責任者になっていることを知りました。私と一緒に働いていた頃と比べたら、キャリアも年収も大きく伸ばしたに違いありません。

私は彼女のような人たちと一緒に仕事ができて幸運でした。

休養期間中、アナを含むかつての同僚たちのことを思い出しては、囚われずに自由に生きることの尊さを感じずにはいられませんでした。

仕事でも家族の問題でも、私は単純なことを自ら複雑にしていたように思います。考えなければ済むことでも、わざわざ考えることで自ら問題を作り出していたかもしれません。

けれど、そうして複雑にしてきた時間の中でなんとか持ち堪えたからこそ、今、人生経験を少しは積んだことを実感しているのかもしれません。

次章のテーマ ― 結婚直後に失業したトラウマ

結婚直後、当時の勤め先をリストラされた経験について触れます。これが私の人生に挑む姿勢に決定的な影響を及ぼしました。