8章2節:国際経験が教えた家族と人生の多様性と自由

国際的な経験に気付かされた ― 夫婦や家族の数だけ形がある

これまで勤めてきたいくつかの会社で、さまざまな夫婦や家族の形を見てきました。休養期間中、彼ら彼女らのことを何度も思い出しました。

いずれの職場にも離婚を経験した人はいました。また、結婚することなく、身内のお世話をしながら暮らしている人もいました。

外国に目を向ければ、家族の形はさらに多様でした。この経験が自然と私の視野を広げ、配偶者との関係において忍耐強くいられた理由の一つであることは間違いないと思います。

4章2節で紹介した以前の上司であるミランダは、旦那さんと別居していました。当時、10代半ばの子ども二人は、週に一回、旦那さんのお宅で夕食を共にしているようでした。

私は旦那さんと子ども二人に会ったことがあります。もちろん立ち入ったことは聞きませんが、暗い雰囲気はまったくなく、自分たちをごく普通の家族だと受け止めている様子が印象的でした。

そのような家族の時間の中に、他人の私を招き入れる開放的な感覚にも清々しさを感じました。私と配偶者が他人に対して同じことをできるとはとても思えませんでした。

同じく欧州本社の同僚にマギー(仮名)という人がいました。当時、おそらく彼女は50代であったと思います。旦那さんとの間には、当時まだ2歳くらいの息子がいました。

夕食に招かれたので彼女の自宅を訪れました。旦那さんはマギーよりもひと回りほど年下に見えました。二人の年齢差と幼い子供の存在が強烈な印象として残っていますが、彼女たちも家族の一つの形でした。

マギー家族のことを思うと、自分たちの意思で「選び取った瞬間」があったのかもしれないと感じます。

そういえば、お客さんの立場で行きましたが、食事の準備を手伝うように言われたことも面白く感じました。マギー宅に居候をしていたスペイン人の学生と一緒に、私は野菜を刻んだのです。

アメリカにケイティー(仮名)という名の同僚がいました。最も馬が合った海外の同僚の一人です。彼女が3回目の結婚をした時、自宅のお庭で撮った記念写真を送ってくれました。

日本人の私から見ると、大邸宅のように見える新居をバックに、旦那さんと赤ちゃん、そして大きなワンちゃんの4人が笑顔で映った素敵な写真でした。まさに、物質的にも精神的にも満たされた、絵に描いたような幸せな家族に見えました。

ケイティーたちが必ずしも社会で大成功した人たちではなく、ごく普通の同僚家族なのです。それにもかかわらず、何もかもスケールが違うことに改めて驚きました。

3回目の結婚であることを考えると、過去に苦労した時期もあったのだろうと想像します。しかし、件の写真を思い出す時、苦しい過去を持つことと、将来幸せになることは別の話であるということを、たった1枚の写真で教えてくれた気がするのです。

イギリス人のニック(仮名)は、別の意味で家族の形を教えてくれた人です。

彼は息子二人と再婚相手の四人で暮らしていました。息子は素行が悪いらしく、今度問題を起こしたらワルばかりが集まる別の学校へ転校しないといけないと、よく心配を口にしていました。

その一方で、別れた元妻が経済的に困窮していることを笑いながら私に話すのです。助けを求められているが絶対に助けないと、どこか面白がって言うのです。

多様な家族や夫婦の形を目の当たりにしたことで、日本の伝統的な家族観や夫婦像に縛られなかったことは幸運であったと思います。

一方で、外国の文化や価値観、生活様式をそのまま日本に当てはめることはできないということも分かっています。日本では、多様性を確保するための社会状況や人々の意識の面で、整えなくてはいけないことがまだまだたくさんあると思うからです。

しかしながら、私個人としては、海外の同僚たちと働く中で、家族や夫婦の在り方について無意識のうちに多くを感じ取りました。人は誰もが自由だという、ごく根源的な感覚を持つようになったと思います。

その結果、私と配偶者は、私たち独自の人生の形を模索していけばいいのではないかと考えるようになったのです。

人生経験が必要だった ― 『深夜特急』を再読して気づいたこと

休養期間中、沢木耕太郎氏の『深夜特急』を再読しました。有名な作品なので読んだことがある人は多いでしょう。

基本的に、私は同じ本を二度読む習慣はありません。しかし、これまでの人生のことを一つひとつ確認するように毎日を静かに過ごしていた時、あの本をもう一度読んでみようと突然ひらめいたのです。自身が置かれた状況を打開するために、何か大切なことを再確認できるような気がしました。

私が最初に同作を読んだのはまだ10代の頃でした。本のあらすじは、20代半ばの沢木氏が、乗り合いバスを使ってユーラシア大陸を横断するというものです。

小さな町で暮らす当時の私は、日本から一歩も出たことがないどころか、横浜や東京へ行くことにさえ緊張を感じていました。そんな私には、深夜特急に描かれた全てのシーンが未知のものであり、刺激的でした。

外国の屋台やフードコートで食事をしたり、市場で買い物をして、安宿で寝起きをする沢木氏がとてつもなくタフで、図太い神経をもった大人に感じられたのです。

例えば、10年経って沢木氏と同じくらいの年齢になった時、私に同じことができるかと問われたら、とてもできるとは思えませんでした。それくらい、私はナイーブで何も知らない子どもでした。

ところが、再読した際、私はそれまでになかった読書体験に心底驚きました。10代の頃あれだけ圧倒された旅行記にも関わらず、自身のそれまでの人生を一つひとつ振り返るように読むことができたからです。

再読するまで気づかなかったのですが、同作で沢木氏が旅をした国々のいくつかを、私も仕事で訪れていたのです。出張であったため、安宿に泊まったり、市場で値段交渉をすることはありませんでしたが、国々の熱気や匂い、人々の暮らしの様子は、私自身も五感すべてで感じたものでした。

『深夜特急』をもう一度読んだことで、私は自身がいつの間にか人生経験を重ねていたことを自覚したのです。

国際的な経験が私を鍛えた ― 多文化の中で身についた心の耐性

外国への関心を持ち始めたのは高校生の頃だったと思います。NHKで『ビバリーヒルズ高校白書』や『アリー my Love』などアメリカのテレビドラマをよく見ていました。

しかし、例えドラマと分かっていても、登場人物の自己主張の強さや、いつも感情むき出しで口論する場面、自由奔放な人間関係は、私には別世界に見えるどころか、恐ろしさすら感じました。自分があのような社会で暮らしていけるとは到底思えませんでした。

同じくNHKの『ヨーロッパ音楽紀行』という番組も好きでした。クラシック音楽をBGMにして、ヨーロッパの美しい風景を映すシンプルな番組です。私はどちらかというとこちらのタイプの人間なのかなと思ったものです。

いくつか会社を移る中で、少しずつ国際的な環境に身を置いて、日常的に多文化の中でコミュニケーションをするようになっていました。

仕事で国際的な経験を楽しいと思うことはほとんどありませんでした。やはり文化や言葉の壁は高く、厳しいことのほうが圧倒的に多かったのです。責任感だけでなんとか乗り越えてきたような気がします。

しかし、結果的にそれらの経験が私の心を強くしてくれたことは確かであり、長年の家族の問題に対処する際の基礎体力になったと思います。人生経験を積むことでしか、あの困難に対峙することはできなかっただろうと今では思います。

世の中にはさまざまな人生や価値観が存在することを、自分の肉体感覚を通じて直接知る必要がありました。その感覚があったから、配偶者との関係を諦めずに済んだのかもしれないと考えています。逆にいうと、あの頃の経験がなければ、私は家族の問題の前で、もっと早く崩れていたかもしれません。