7章1節:義父母に潜む支配と沈黙 ― 初対面で感じた違和感

義父母と初めて会った日 ― 陰鬱な第一印象

結婚前、義理の両親に初めて会った日のことを今でも鮮明に覚えています。場所は都内の商業施設に入っているレストランでした。

予約したお店に入る前、同じフロアにあるお手洗いに立ち寄りました。そこに向かう途中、陰鬱な雰囲気を漂わせる年配の男性とすれ違ったのです。

その人は、広くもない通路の中央寄りを歩いてきました。目の前から来る私をよける気配がなく、どこか支配的なものを感じました。

トイレを済ませ、手を洗いながら鏡に映る自分を見た瞬間、先ほどすれ違った男性が義父だとなぜか直感したのです。

付き合っていた頃、配偶者から義父母に関する否定的な言葉を聞いた記憶はありません。あえて言わなかったのか、または本人も自覚していなかったのかはわかりません。

レストランに入って初対面の挨拶をした時、目の前にいる男性は、数分前にお手洗いへ向かう途中ですれ違ったあの人だったのです。

服従を強いる親の態度 ― 義父母との関係に潜んでいた支配構造

近年、義理の両親と顔を合わせる機会はほとんどありません。休養期間に入ってからは一度も会っていません。それにもかかわらず、不快な思い出は少なくないのです。

ある年のお正月、ビュッフェ形式のレストランで一緒に食事をした時のことです。

義父が料理を取りに行こうと席を立った時、隣のテーブルの椅子が少し出ていたため、通りにくそうにしていました。そっとよけるのかと思いきや、義父は「バーンッ」という音を立てて、その椅子を乱暴に押し込んだのです。

隣のテーブルは小さな子どもを連れた若い夫婦でした。義父の行いに、お父さんは目を丸くして驚き、お母さんは怯えたような表情のまま固まっていました。

私も、目の前で起きたその粗暴な行為が信じられなくて、思わず凍りつきました。同時に、若いお父さんが抗議して事を荒立てないことを心の中で祈りました。

私たちのテーブルには配偶者と義母もいましたが、二人は義父の行動に気づかなかったのか、あるいは気にするそぶりも見せなかったのです。

5章2節で少し触れましたが、マンションの修繕工事でトラブルに巻き込まれたことがありました。当時、ものが増えて手狭になったこともあり、ちょうど引越しを検討していたタイミングでもありました。

新居を構えるための経済的支援をお願いしに、配偶者の実家を訪れました。その際、義父がその修繕業者に引越し代を負担させるよう提案してきたのです。

私は間髪を入れずに答えました。

「そんなことはしません。必要な補填はしてもらいますが、それ以外のことは何も要求しません」

私は社会規範に反する義父の発言に心底驚きましたが、その気持ちは顔には出しませんでした。毅然とした私の態度に、義父が苦々しい顔をしていたのをよく覚えています。

この時、理解に苦しんだのは義母の態度でした。

続き間になっている隣の和室で洗濯物を畳んでいました。ふすまを開けた状態で私たちのやりとりを聞いていたにも関わらず、何も言わなかったのです。過大な要求を口にする義父を、義母はたしなめるべきではなかったでしょうか。

配偶者の実家の居間にはものがあふれ、息苦しいほどに雑然としていました。その様子は私の実家とそっくりで、配偶者がこの環境で子ども時代を過ごしてきたことを想像すると胸が苦しくなりました。

そこで義父と向かい合って座った時から、配偶者はなぜか大粒の涙を流していたのです。異様な雰囲気でした。

今となっては、配偶者が泣いていた理由を私は知っています。金銭的援助をお願いするために、憎い父親に頭を下げることが屈辱だったのでしょう。また、私の経済力の無さも恨んでいたはずです。

さらに奇妙に感じたのは、なぜそんなに泣くのかと、義父母のいずれも配偶者に尋ねなかったことです。成人した子どもを泣かせて、服従を強いることで満足しているかのように私には感じられました。

最終的に、義父は遠回しな言い方で、「しっかりお願いする姿勢を見せて欲しい」と私に言いました。私はおとなしく「よろしくお願いします」と言って頭を下げたのです。

配偶者は、服従を迫るような親の態度に、子どもの頃から嫌悪感を抱いていたといいます。それに対する辛さや憎しみを話すようになったのは、私が休養期間に入ってからのことです。私たちは結婚してから数え切れないくらいの口論を繰り返してきましたが、私が正論を述べるたびに、私の姿が両親のそれと重なったそうです。

結婚当初から、義父母は事前の連絡なく、私たちの住まいをよく訪ねてきました。ただし、玄関で対応するのは決まって配偶者でした。最初の頃こそ、挨拶くらいするのが礼儀だと思い、私も顔を出していました。しかし、次第にそうすることもなくなっていったのです。義父母に対する違和感が積み重なり、とても会う気にはなれなかったからです。

また、最近になって知ったことですが、少なくとも週に1回程度は義母から配偶者の携帯に連絡があったそうです。洗脳から解けた今、配偶者はこれらの行為を「子どもを支配する態度」であったと捉えています。

義父母は私たちの住まいの合鍵も持っていました。

結婚してすぐの頃、マンションのインターホンが鳴ったのでカメラを確認したところ、義父が玄関の扉の前に立っていて驚いたことがあります。ゾッとしました。

義父は一階のオートロックを自ら開け、私たちの部屋がある階まで上がってきたのです。この出来事を通じて、配偶者が合鍵を渡していた事実を知りました。

私は自身が感じた違和感を配偶者にやんわりと伝えました。その瞬間、具体的な言葉は覚えていませんが、強いリアクションと共に配偶者は涙を流したのです。

「まただ」と私は心の中で呟きました。結婚後、配偶者はほんの少しの言葉のやり取りだけで感情的になり、涙を流すようになっていたのです。

当時の私はこう思って困惑していました。「悲しいから泣いているんだよね?でも、泣くほどのことを言ったかな」。その頃の私は、配偶者の心の作用の根本原因にまで考えが及んでいなくて、人の気持ちの扱いに関して経験不足な私自身を責めていました。

義父母は、現在の私たちの住まいの合鍵も持っています。配偶者は洗脳から覚めた今、そのことを深く後悔しています。

同じような支配関係は、配偶者の親戚にも共通しています。学校や進路は親に決められ、就職や結婚相手でさえ、親の意向が強く影響するようなのです。世間一般でも、過干渉な親子関係は決して珍しくないと思いますが、私には理解することが難しい価値観のように感じられます。

もとはといえば、義父自身が似たような環境で育ったそうです。義父の親、つまり、私の配偶者の祖父母も支配的な人々だったのです。親子関係の歪みが、世代を超えて受け継がれていることに愕然とします。

信仰に関してはやや異なります。最初に入信したのは義父の兄でした。そこから義父の親を含め、親族が一人ひとり入信していったのです。

宗教を否定するつもりはありません。しかしながら、社会常識と相容れないような配偶者の親族の言動を見聞きするたびに、私は信仰の存在が影響している可能性をどうしても否定できないのです。