4章1節:休息と心身の変化、人の言葉に救われた記憶

休息の大切さ ―1日16時間の自由な時間

休養して数年経ちました。当初は不安と安堵の間で気持ちが揺れ動いていました。必ずしも自ら望んで得た休みではなかったからです。

しかし今振り返ると、仕事を離れたからこそ、認知を修正する余裕が生まれたのだろうと思います。当時の生活を続けながらでは、生き方を変えることは難しかったはずです。

1日16時間働く日々を約20年間続け、週末もどちらか1日を仕事に当てていました。責任や業務量という事情もありましたが、基本的には自らの意思でハードに働くことを選んできました。

なぜなら、私は必死に働くことで、家族を守り、劣等感を克服しようとしてきたからです。仕事は私にとって家族の問題への現実的な対処方法であると同時に、心の拠り所であり、自己実現の手段でした。

私にとって仕事が大切であることは今後も変わらないと思います。しかし、根底にある家族や自身に対する向き合い方は変化しました。

仕事を離れたことで、毎日16時間もの時間的余裕が生まれました。これはそのまま心身の余裕につながり、私が内省を深めるための時間に変わったのです。

執着していた思いを捨てた時、私は休息の大切さを初めて知りました。

解放されて初めて実感するストレス ― 頭痛と眠れない夜

学生の頃から、私は慢性的な頭痛に悩まされていました。いつ襲ってくるかわからない頭痛が不安で、薬を持たずに外出することができないほどでした。専門的な検査を定期的に受けていましたが、特に異常は見つからなかったのです。

睡眠にも悩んでいました。眠りたいのに眠れなかったのです。ようやく眠りに落ちても、1~2時間おきに目が覚めてしまうのです。朝は頭痛を抱えたまま起きる日が続きました。

ところが、休養生活に慣れてくると、頭痛の頻度は減り、以前より長く眠れるようになりました。ジョギングやウォーキングなどで体を動かすと、食欲も増えました。

医師の診断ではなく私自身の考えですが、頭痛や不眠の原因の一つはストレスだったのではないでしょうか。私はストレスから解放されたことで、初めてストレスの存在を実感しました。

私たちは往々にして、解放されて初めて自身を縛っていたものに気づくのかもしれません。

私を認めてくれた人たちの記憶 ― 自信を失う必要はない

時間に余裕が生まれ、体調も改善したことで、人生を一つずつ振り返る環境が整いました。

ただし、この行為が諸刃の剣であることは否定しません。辛い記憶と再び向き合う側面もあるからです。実際に心が苦しくなり、思考が停止することが幾度もありました。

一方で、忘れていた幸せな出来事を思い出す機会にもなったのです。

例えば、冷静に人生を振り返ると、人との出会いに関しては必ずしも不運ばかりではありませんでした。私のことを認めてくれた人たちも確かに存在したのです。

私はこの事実を見落としていました。長い間、何かと戦うような気持ちで毎日を過ごしてきたからかもしれません。

直近の職場を望んだ形で終えることはできませんでした。しかし、そのことだけで自信をなくす必要はないかもしれないと、気持ちを切り替えることができるようになったのです。

過去と現実をありのまま受け入れると決めた時、私に勇気をくれた人たちのことを思い出しました。

褒められたことは忘れない ― 背中を押してくれた昔の上司

休養中、明英さん(仮名)という昔の上司のことをよく思い出しました。以前勤めていた別の会社で、ともに事業の拡大に取り組みました。私の中にビジネスパーソンとしての軸を築いてくれた人です。

彼は日本の中堅化学メーカーで社長を務めた後、欧州系化学企業の小さな日本法人の代表に就いたのです。そこに私が事業開発とマーケティングの担当者として入社しました。

彼はいつも私のことを褒めてくれました。以下のような前向きな言葉で私を鼓舞し、自信を持たせてくれたのです。そのおかげで、仕事の大小に関わらず、全ての瞬間が学びと成長の機会になりました。

「菜穂樹さんが入社してくれたことで日本のミッシングピースが埋まったよ。みんな喜んでる」

「菜穂樹さんはとてもいい線いってるけど、まだ遠慮している。もっとガンガンやってほしい」

「日本事業を自分が主導するくらいの気概を持ってちょうどいいんだよ」

経験と実績を兼ね備えた人の言葉は、まるで魔法のように私に効きました。明英さんと出会わなければ、会社員としての私の行動様式は全く別のものになっていたかもしれません。

心のつっかい棒になった言葉 ― ある国会議員との思い出

明英さんと欧州のある国へ出張した際、現地を訪れていた日本の国会議員のCさんと、ほんの数日間、行動をともにする機会に恵まれました。言うまでもなく、私の役割は明英さんやCさんの鞄持ちです。

Cさんが過酷な幼少期を過ごしていたことは、事前に経歴を調べて知っていました。まさに刻苦勉励に努めて政治家になったのです。

移動中や食事中も常に勉強し、通訳を使わずに自身で全てのアポに臨んでいました。そのバイタリティと、明るくて人懐っこい人柄には、育った環境の厳しさなど微塵も感じさせない前向きな雰囲気がありました。

Cさんも私のことを多少なりとも気にかけてくれたようで、こんなことを言ってくれたのです。

「星野菜穂樹さん、いい名前だね」

「星野さんは国会議員の秘書に向いてるよ」

最終日、空港の出国エリアで、私はCさんと二人だけで30分ほど過ごすことができました。私もCさんも、現地からそれぞれ別の目的地へ向かうことになっていたからです。

フライトを待つ間、Cさんは仕事や家族、将来のことなど色々な話をしてくれました。私の目線に合わせようとしてくれる姿勢に恐縮しつつも、私も一所懸命に自身のことを話しました。

そして、別れ際、握手をしながらCさんは私にこう言ってくれたのです。

「あなたはしっかりしているから大丈夫だと思う。でも、何かあったらいつでも事務所を訪ねて来なさい。力になるから」

国会議員という立場を考えると、おそらく数え切れないほど多くの人に同じことを言ってきたことでしょう。もちろん、そのことを不誠実などとは思いません。

しかし、私はCさんが本心からそう言ってくれたと感じたのです。ほんの数日間だけですが直接目にしたCさんの働きぶり、力強い握手と、あの真剣な表情と眼差し。私にはその場限りの言葉だとは思えませんでした。

胸の奥が熱くなって、私は「ありがとうございます」とだけ言い、深く頭を下げて別れました。あの時、心の中に勇気のようなものが芽生えた感覚を今でもよく覚えています。

休養期間中、私はCさんの言葉を何度も思い出しました。「私はきっと大丈夫」と思うための、心のつっかい棒のような役割を果たしたのです。真剣に生きる人の真剣な言葉に私は支えられました。

Cさんは私のことなど覚えていないと思います。もちろんそれで構いません。