2章3節:休職を決断した瞬間と家族の言葉

「もう会社辞めていいよ」 ― 配偶者の言葉

ビデオ会議を終えた後、燃えるような憤りを抱えながら、自室を出るためにドアを開けました。その時、そこに配偶者が立っていたのです。私は予期せぬことに驚きました。ドア越しに私と真理さんの会話を聞いていたようなのです。

リモート会議中は家の中で大きな音を立てないよう、お互いに普段から気をつけていました。そのため、配偶者がそこに立っているようなことは、それまで一度もなかったのです。

配偶者と向き合ったまま、一瞬だけ間を置いた後、心配と諦めが入り混じったような表情で私はこう言われました。

「もう会社辞めていいよ。菜穂樹おかしくなってるよ」

「下から怒鳴り声が聞こえたから降りてきたら、菜穂樹が叫んでた。相手は会社の人でしょ?」

「どうしてあんなふうになるの?おかしい。もう辞めていいよ。明日病院行ってきな」

配偶者のこの言葉で、私はやっと自身に休むことを許しました。休むことができなかった理由の一つは、家族の存在だったからです。一方で、私は配偶者との間で大きな価値観の違いを抱えながら暮らしていたことも事実なのです。

仕事を休めなかった理由 ― かつての失業のトラウマ

十数年前、私は当時勤めていた別の会社で、リストラにより失業したことがありました。不運にも結婚直後のことだったのです。この出来事は、私たちの信頼関係や生活、人生設計に深い影を落としました。

リストラを言い渡された時のことを思い出すと、今でも胸が張り裂けるような思いがします。

長い間、私はこの件で配偶者に負い目を感じていました。また、結婚生活のいくつかの節目で、相手の両親から経済的な援助を受けたことも、私に過度な責任感を背負わせました。これらのトラウマと経緯が重なって、私は自身に仕事を休むことを許さなかったのです。

後になって知ったことですが、失業した時、配偶者は身内から「騙されたのではないか」と言われていたそうです。もちろんそうではありませんが、結婚当初の生活が厳しくなり、長年続く不信感の原因の一つになったことは確かです。

さらに、私は実家の家族の問題も抱えていました。もしも私が職を失ったら、実家の家族も共倒れになることを恐れていました。

このような歪んだ責任感に縛られていたため、どうしても私は自ら仕事を手放すことができなかったのです。

権力闘争に負けて学んだこと ― 組織とリーダーシップについて

休職して数ヶ月後、私は職場に戻ることなく退職しました。

今日までの休養期間中、元勤務先のことを毎日のように思い出しました。上層部と意思疎通しようと多くの労力を注ぎましたが、一連の出来事はすべて離職への布石だったのかもしれません。今となってはそれを確かめる術はありません。あの苦しい日々を思うたびに、敗北感に覆われて何度も立ち止まってしまいそうになりました。

しかし、決して肯定はしませんが、認知を修正した今では人生経験の一つとして受け止めることができるようになりました。実際に、身をもって組織やリーダーシップ、チームビルディングについて学びました。

組織の再編によって新たな上司を迎えたことは、確かに人生の分岐点でした。とはいえ、新しい上司が誰であったとしても、いずれは企業文化の変質という大きな波に飲み込まれていただろうと思うのです。私は会社の土壌に合わなくなっていました。他者に身を委ねることを良しとしない私の性格を考えると、早晩、自ら別の会社に移る決断をしていた可能性があります。

一方で、思い通りにならない状況下でも、理性的に対応すれば良かったと思います。当時の私には、そうするだけの忍耐も知恵も経験も不足していました。多少の法律の知識をもったり、他者の言動をいなす選択肢もあったはずですが、私は愚直に真正面からぶつかることしかできなかったのです。

なお、上層部に対して自身の考えを述べたこと自体は後悔していません。会社組織に限らず、社会生活全般において、道義に反することには声をあげる必要があると思うからです。おかしいと感じることに、黙って従うことはしたくありません。

未熟な点は多々ありました。それでも、苦しい状況の中で自身の良識に従って行動した事実は、今、新しい人生を踏み出す上で心の支えになっています。

次章のテーマ ― 心療内科を初めて受診した日

次章では、心療内科を初めて受診した日を振り返ります。認知を修正し、過去と折り合いをつける最初の一歩になりました。